大判例

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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)3731号 判決

原告 新島近夫 ほか一名

被告 国

代理人 大沼洋一 田中均弥 ほか七名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当該者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金二二六五万円及びこれに対する昭和五二年五月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告新島近夫は、亡新島和恵(以下「和恵」という。)の父であり、原告新島美知子は、和恵の母である。

2  死亡事故の発生

(一) 医師横室元男(以下「横室医師」という。)は昭和四八年一二月一二日午後二時三〇分ころ、群馬県新田郡尾島町所在の社会福祉センターにおいて、和恵らに、インフルエンザHAワクチンの予防接種(以下「本件接種」という。)を行つた。

(二) 和恵は、同月一三日、三八度を超える発熱があり、頭痛を訴えたので、午前一一時五〇分ころ、岸昭司医師(以下「岸医師」という。)の診察を受けた。

(三) 和恵は、同月一四日朝三八度五分の高熱となり、発赤発疹が両腕、胸腹部、両足にまで広がり、午前一〇時ころ、再度、岸医師の診察を受けたが、その際、発熱は三九度八分に及び、頭痛、吐気があり、咽頭発赤が著しく、頸部、躯幹、四肢に強度の麻疹様の発疹があつた。

(四) 和恵は、同日深夜になつて、暴れ始め、尿失禁があつて、間もなく意識不明に陥り、同月一五日午前一時三〇分ころ、鶴谷病院に入院した。

(五) 和恵は、入院後も、病状が好転せず、高熱が続き、発赤発疹が全身に強く現れ、意識不明のまま、喘鳴、発汗、四肢の硬直、喀痰排出困難等の状態が日々激しくなり、同月二一日午後一一時二五分、脳炎を直接死因として死亡するに至つた。

3  因果関係

(一) 因果関係の判定基準

一般に、ワクチン接種と副反応との間の法的な因果関係は、次の(1)ないし(3)の要件が満たされる場合には、これを肯定すべきである。

(1) ワクチン接種と副反応の症状の発生との間に、時間的な密接性があること(時間的密接性)

(2) ワクチン接種と副反応の症状との関係が、経験的に医学上の知見からみて矛盾なく説明できること(症候論的無矛盾性)

(3) 副反応の症状の発生原因としては、ワクチン接種以外の原因を除外することが経験的に医学上の知見からみて可能であること(他原因の除外可能性)

(二) 時間的密接性について

和恵の直接死因である脳炎の発症は、本件接種と時間的に密接している。

(三) 症候論的矛盾性について

(1) インフルエンザHAワクチン接種によるアレルギー性脳炎発生の蓋然性

和恵の直接死因は脳炎であるところ、インフルエンザHAワクチンは不活化ワクチンであるからワクチンウイルスによる脳炎は考えられず、考えられるのは、アレルギー性脳炎であるがその原因物質としては、インフルエンザHAワクチンの成分中の化学的物質(インフルエンザHAワクチンは、インフルエンザウイルスをエーテルなどの有機溶媒で処理し、糖脂質を溶出させた点で従前の全ウイルスワクチンよりは安全であるが、ワクチンウイルスを構築している核蛋白等の蛋白成分はほとんど除去されていない。)及び同ワクチン製造過程で、これに必然的に含有されることとなる卵蛋白が考えられる。

現に、インフルエンザワクチン接種により、脳炎等の副反応が生じたことの報告例は、内外に数多く、HAワクチンに切りかえた後も多数にのぼつている。

(2) 和恵の本件症状についての症候論的無矛盾性

和恵の前記2記載の各症状は、医学上の知見からみてインフルエンザHAワクチン接種後の副反応の症状として矛盾なく説明することができる。

(四) 他原因の除外可能性

(1) 和恵の既応症等との関連性

和恵は、幼時、麻疹、虫垂炎に罹患した以外は、重篤な病気に罹患したことがなく健康体であつた。

(2) 薬物摂取との関連性

和恵は、昭和四八年一二月一三日の朝と同月一四日の朝に、岸医師から、クロマイゾールの注射を受け、ネオサイクリン、アミノピリン、フエナセチンの投与を受けているが、これらの薬物摂取は、和恵の脳炎の原因として考えられず和恵は他に本件接種後、本件症状が発生するまで薬物を摂取していない。

(3) ウイルス性伝染病との関連性

昭和四八年一二月一八日に、和恵から採取した咽頭粘液、血液、髄液、便からはウイルスが分離されず、当時、尾島町には発疹を伴う流行性疾患に罹患している者はなかつた。また同じく本件接種後、和恵と極めて近い病像を示した滝沼かおるの血清について約二年半後の昭和五一年六月に発疹性のウイルス疾患の免疫体の検査をしたところ、陰性であつた。したがつて、和恵の脳炎の原因として、ウイルス性伝染病は除外することができる。

4  責任(一)(接種担当者横室医師の過失による国家賠償法一条の責任)

(一) 被告国の公権力の行使に当たる公務員

(1) 尾島町長は、被告国の機関委任事務として、予防接種法に基づき、本件接種を実施したものである。

(2) 前記2(一)の横室医師は、右尾島町長から委嘱を受けて本件接種を担当したものである。

(二) 接種担当者横室医師の過失

(1) 有熱患者及び医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者は禁忌該当者であるところ、和恵は、風邪に罹患し、本件接種の行われた昭和四八年一二月一二日朝鼻水を出し、体温が三八度五分あつたので、本件接種についての禁忌該当者であつた。

(2) 本件接種を担当する横室医師らは、被接種者に対し、視診・問診等を十分に行い、もし不審を感じたときはさらに体温測定・聴打診等をして禁忌該当者を発見し、このような者に対しては接種を中止すべき注意義務を負つていたところ、和恵は右のとおり、風邪の症状を示していたので十分な注意をすれば、風邪に罹患していることを容易に発見しえたにもかかわらず、横室医師らは、視診・問診を十分に行わなかつたため、右(1)の事実を看過して、和恵に本件接種を行つた。

5  責任(二)(厚生大臣の行政指導についての過失による国家賠償法一条の責任―請求原因4の予備的主張)

(一) 厚生大臣の任務・責任等

被告国は、社会福祉、社会保障並びに公衆衛生の向上及び増進を図ることを任務とし国民の保健、薬事等に関する被告国の行政事務及び事業を一体的に遂行する責任を負う行政機関として厚生省を設置し、厚生大臣は、公衆衛生行政の主務大臣として同省の右行政事務を統括しているものである。

(二) 本件行政指導

被告国の厚生大臣は、厚生省公衆衛生局長に指示し、これに基づき、同局長は昭和四八年八月二二日付で各都道府県知事宛に、同年度のインフルエンザワクチンの勧奨接種を指示する旨の「昭和四八年度インフルエンザ予防特別対策について」と題する通達(以下「本件通達」という。)を発し、同年度のインフルエンザの予防接種の実施を、各都道府県知事を通して実施主体である各市町村(東京都の区の存する区域にあつては、東京都。以下「各市町村」という。)に対して勧奨する旨の行政指導(以下「本件行政指導」という。)を行い、これに基づき、尾島町は、その住民に右接種を受けることを勧奨し、町の固有事務として本件接種の実施を横室医師に委嘱し、同医師は同町の特別職職員として本件接種を実施したものである。

(三) 公権力の行使

厚生大臣の本件行政指導は、次のとおりであるから、国家賠償法一条にいう「公権力の行使」に該当するというべきである。

(1) 被告国の厚生大臣は、国の保健衛生行政の一環として、伝染性が強く悪質な病気であるインフルエンザの発生及び蔓延の予防という防疫行政目的のためには、小中学校等の児童・生徒(以下「学童」という。)に対し、全国的規模で組織的にインフルエンザ予防接種がなされることが必要であるとの方針で、毎年各都道府県知事を通じ、各市町村に対し、実施方法等を詳細に定めて右接種を勧奨する旨の行政指導を行つており、右行政指導を受けた各市町村も、被告国の指導、助言、協力等に依拠し、事実上選択の自由もなく、これに従つて勧奨接種を実施していた。

そして、勧奨接種の実施につき、実施主体である各市町村は、右に従い、回覧等の方法により、国民に対し接種を受けるよう勧奨し、国民は勧奨接種と強制接種の法律上の違いについて特段意識することなく、勧奨された接種であつても、それは強制接種と同様に必ず受けるべきものと考えて学校の教職員等の指導により組織的に接種を受けていたのが当時の社会一般の実情であつた。

(2) また、予防接種法に基づく強制接種と、勧奨(任意)接種との違いは、前者が法律による強制を伴い、その不遵守に対しては刑罰が科せられるところにあるが、いままで予防接種法に基づく強制接種の不遵守に対して刑罰権が発動された事例はなく、その点で事実上右二者の違いはない。

(四) 本件行政指導についての厚生大臣の過失

(1) 実施すべきでないインフルエンザ予防接種の実施を勧奨した過失

(ア) インフルエンザの症状等

インフルエンザは高熱とともに、発病し、特に強い頭痛、筋肉痛を伴う点で、普通の風邪よりは症状の重いものであるが、通常は、ほぼ三日間の有熱期間を経て治癒に向うもので、これよりも重い症状を呈する疾病も他に多く存在し、またその死亡率も他の疾病に比し必ずしも高いとはいえない。

(イ) インフルエンザ予防接種の効果

そのうえ、インフルエンザワクチンは、さほど予防効果ないしその持続性がないうえに、流行ウイルスの抗原構造が毎年変化するため流行ウイルスに完全に一致するワクチンを用意することは不可能であるから、予防接種によつてインフルエンザの流行を完全に制圧することは不可能である。また、杉浦昭はその論文(臨床とウイルス三巻一号「インフルエンザ予防接種における問題点」)の中で、インフルエンザワクチン接種により、感染予防効果は認められるが、発病予防効果は有意義とはいえないと指摘している。

(ウ) 学童接種の効果

被告国は、本件のような学童に対するインフルエンザワクチン集団接種(以下「学童接種」という。)の根拠として、インフルエンザは学童を媒介として社会に蔓延するという学童媒介説を主張するが、この学童媒介説には根拠がない。被告国は、学童接種によつてインフルエンザの流行の増幅を防止しえたという明確な成績を示すデータを提出していないし、わが国においてインフルエンザワクチンの学童への接種がインフルエンザの流行に及ぼす影響についての、被接種者のプラシーボ(にせワクチン)効果と医師側の心理的動機の介入を排除する客観的なワクチン効果判定方法である二重盲検法による解析をしたデータ等は存しない。

インフルエンザワクチン予防接種について、米国においては、老齢者、病弱者等のハイリスクグループに接種する方式を、ヨーロッパの工業国においては、工場従業員に重点をおいて接種する方式を、WHOにおいては医療関係者、交通通信関係者、治安維持関係者、重要産業従事者等に重点をおいて接種する方式をそれぞれ採用しており、諸外国では、わが国のような、インフルエンザに罹患しても最も死亡率の低い年令層である学童に対して接種を行う学童接種方式は採用していない。

したがつて、わが国のような学童接種の必要性、有効性は認められない。

(エ) インフルエンザ予防接種の危険性とその予見可能性

他方インフルエンザ予防接種は、たとえ微量にせよ、毒性をもつ劇薬を注射液として使用し、身体にこれを注入するものであるから、右予防接種に伴い脳炎等の副反応による事故が稀にではあつても不可避的に発生するものであり、昭和四七年にワクチンが改良され、HAワクチンとなつたが、それも右事故を皆無とするものではなかつた。

現に、インフルエンザワクチン接種により脳炎等の副反応が生じたことの報告例は、HAワクチンに切りかえた後も含めて多数にのぼつている。

厚生大臣は、医学文献等を参照する等により、右報告例を容易に知りえたのであり、インフルエンザ予防接種を継続すれば、右のような事故が発生することを十分予見しえた。

(オ) 接種勧奨の違法性

以上のとおり、インフルエンザ予防接種、特に、学童に対するインフルエンザ予防接種の必要性、有効性は小さいものである反面、インフルエンザワクチン接種による副反応の危険性は右(エ)のとおり大きいものであるから、インフルエンザに対する予防措置としては学級閉鎖が最良であり、これをもつて満足すべきものであつた。

それ故、厚生大臣としては、インフルエンザ予防接種を中止すべきであつたにもかかわらず、本件通達を発して、都道府県知事を通じて各市町村にインフルエンザ予防接種の実施を勧奨する旨の本件行政指導をしたのであるから、右行政指導は違法である。

また、仮に学童接種がインフルエンザに対する防疫の措置として有効であるとしても、学童はインフルエンザによる死亡率が最も低い年令層であるのに、右(エ)のとおり副反応を生ずるおそれのある危険なワクチンの注射を、当該学童のためにではなく、インフルエンザの流行に対する社会防衛のために被告国が勧奨すること自体が、「すべて国民は、個人として尊重される。」という憲法一三条の規定に反するものである。

(2) 禁忌該当者への接種事故回避のための措置不十分の過失

(ア) 和恵の禁忌該当性

請求原因4(二)(1)(和恵の禁忌該当性)と同旨。

(イ) 厚生大臣は、本件行政指導に当たり、各都道府県知事を通じ、各市町村に対して、接種を担当する医師等に、インフルエンザ予防接種に当たつては、医師一人が一時間に対象とする被接種者の数が一〇〇人を超えないように厳守させ、禁忌該当者に接種しないようにさせるため事前に視診・問診等を十分行うよう指示すべき旨をも通達すべきであつたのに、これを怠つた。

(ウ) 厚生大臣が右(イ)の義務を怠つた結果、本件接種を担当した横室医師は、一時間当たり約一二二人に及ぶ対象者への接種を実施し、視診・問診等を十分行わなかつたため、和恵が、右(ア)のとおり禁忌該当者であつたことを看過して、同人に本件接種を行つたものである。

(3) インフルエンザ予防接種が副反応の危険性を有すること、勧奨接種であることを周知徹底させなかつた過失

(ア) 被告国の厚生大臣は、前記5(四)(1)(エ)のようなインフルエンザ予防接種の副反応の危険性に鑑み、本件行政指導に当たり、各都道府県知事を通じ、各市町村に対して、インフルエンザ予防接種の被接種者らに、インフルエンザ予防接種が右のような副反応の危険性を有すること及び右予防接種が勧奨接種であり、強制接種ではないことを周知徹底させるよう通達すべきであつたのに、これを怠つた。

(イ) 厚生大臣が右(ア)の義務を怠つた結果、尾島町は、住民に対して、右危険性等を周知徹底させることを怠り、そのため和恵らは、右危険性等を知らされず、それゆえ本件接種を拒むことなく受けて、前記のとおり副反応の脳炎のため死亡したものである。

6  損害

(一)(1) 和恵の逸失利益

和恵は、昭和三八年一月三一日生れの女子で、死亡当時一〇歳であつたから、女子労働者の平均年収一三五万一五〇〇円(昭和五〇年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計女子労働者学歴計全年令の平均賃金)を基礎とし、生活費を収入の五割として控除し、一八歳から六七歳までの四九年を労働可能年数とし年五分の割合による中間利息を新ホフマン式により控除して、和恵の死亡時における逸失利益の現価を算出すると、約一三〇〇万円となる。

1,351,500×0.5×(26.595-6.589)=13,519,054

(2) 和恵の慰謝料

和恵の被つた精神的苦痛に対する慰謝料は、一二〇〇万円が相当である。

(3) 原告らの和恵の右(1)及び(2)の損害賠償請求権の二分の一ずつの相続

原告らは、和恵と1記載の身分関係にあり、他に和恵の相続人はいない。

(二) 原告らの慰謝料

和恵の死亡により原告らの被つた精神的苦痛に対する慰謝料は、各一〇〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 各二二五万円

よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ損害賠償金二四七五万円のうち尾島町(分離前相被告)との間で昭和五八年一一月一八日本件和解期日において成立した和解金各二一〇万円を控除した残額である二二六五万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五二年五月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2(一)  同2(一)(横室医師の本件接種)の事実は認める。

(二)  同2(二)(昭和四八年一二月一三日の和恵の症状等)の事実のうち、和恵が昭和四八年一二月一三日発熱があり、頭痛を訴えたこと、午前一一時五〇分ころ岸医師の診察を受けたことは認め、その余の事実は知らない。

(三)  同2(三)(一二月一四日午前の和恵の症状等)の事実のうち、和恵が同月一四日午前一〇時ころ再度岸医師の診察を受けたこと、その際、体温は三九度八分あり、原告主張の発疹があつたことは認め、その余の事実は知らない。なお、同月一四日には、和恵は岸医師から風疹と診断された。

(四)  同2(四)(一二月一四日深夜ころの和恵の症状等)、同2(五)(和恵の死亡までの症状及び直接死因)の各事実はいずれも認める。

3  請求原因3(因果関係)について

(一) 請求原因3(一)の因果関係の判定基準については異論がない。

(二) 同3(二)(時間的密接性)の事実は認める。

(三) 同3(三)(症候論的無矛盾性)について

(1) 同3(三)(1)(インフルエンザHAワクチン接種によるアレルギー性脳炎発生の蓋然性)のうち、和恵の直接死因が脳炎であること、インフルエンザHAワクチンは不活化ワクチンであるからワクチンウイルスによる脳炎は考えられないことは認め、その余の事実は否認する。

なお、インフルエンザワクチンは狂犬病ワクチンと異なり、製法上神経組織が全く含まれておらず、また脳物質以外の向神経性共通抗原の存在についても仮説の域を脱していないため、インフルエンザワクチン接種によつて脳炎を起こすことは現代医学上考え難い。

また、インフルエンザワクチン接種後に数々の神経症状を呈した症例報告が散見されることは事実であるが、これらによつても特定の病型及び接種から発症までの時間に集積性を認めることはできないのである。例えば、諸外国におけるインフルエンザ予防接種後の神経疾患報告例をみても、報告者であるヘネツセンら、グエレロら、シプリーらは、いずれも、各神経疾患は、ワクチン接種と無関係に発現したものと推論している。

(2) 請求原因3(三)(2)(和恵の本件症状についての症候論的無矛盾性)の事実は否認する。

(ア) HAワクチンの副反応として発疹が生ずることはあるが、その発疹は薬疹という範ちゆうに入り、これはじん麻疹様発疹あるいは中毒疹様発疹の態様を呈することが多い。

即ち、薬疹の発疹は、偏平隆起し、大きさは不同で融合が見られ、かゆみを伴うのがふつうである。また、接種当日くらいに現れることが多く、数日で消失し、発熱を伴わないことが多い。しかるに、和恵の発疹の態様は、麻疹様ないし粟粒状であり、また、発疹が出たのは接種後二日目であること、発疹は死亡するまで消失しなかつたこと、さらに、発疹の融合はなく、和恵はかゆみを訴えていなかつたこと、高熱があつたことからすると、この発疹は、薬疹とみるべきものではなく、現にこれまでの給付申請例にも、和恵のような「脳炎を伴つた発疹」の例はない。

(イ) また、和恵は事故前四年間にわたり毎年インフルエンザの予防接種を受けていたが、その時は特に発疹が生じた形跡はない。もし、インフルエンザワクチンと関係のある発疹、特にアレルギー体質に基づく発疹であれば、過去の接種時にも発疹が現れてしかるべきなのにその形跡が存しないのである。

(ウ) したがつて、和恵の発疹は、インフルエンザワクチンとは無関係である蓋然性が高いというべきである。

(四) 請求原因3(四)(他原因の除外可能性)について

(1) 同3(四)(1)(和恵の既応症等との関連性)の事実は知らない。

(2) 同3(四)(2)(薬物摂取との関連性)の事実は否認する。

(3) 同3(四)(3)(ウイルス性伝染病との関連性)の事実は否認する。和恵は、ウイルス感染による発疹を伴つた脳炎によつて死亡したものである。

仮にウイルスが分離されなくても、そのウイルスが存在しなかつたとは限らない。また、和恵は、咽頭発赤が著明であり、その発疹の態様は、右3(三)(2)(ア)のとおりであつて、これはウイルス感染を裏付けるものといつてよい。

滝沼かおるに発疹が出たのは、接種後九日目であり、ワクチンの副反応とみるには出現時期が遅すぎ、また口蓋に小水泡が散在していたというのであるから、むしろウイルス感染を窺わせる事例である。また同人の血清の風疹の赤血球凝集阻止抗体(HI抗体)価は三二倍と高く有意義である。

4  請求原因4(責任(一)(接種担当者の過失による責任))について

(一)(1) 請求原因4(一)(1)(機関委任事務)の事実は否認する。なお、本件予防接種は予防接種法に基づくものではなく、尾島町が被告国の勧奨に応じてその固有の事務として任意に実施したものであつて、尾島町長が被告国の機関委任事務として行つたものではない。

(2) 請求原因4(一)(2)(横室医師の地位)の事実は認める。

(二)(1) 請求原因4(二)(1)(和恵の禁忌該当性)のうち、有熱患者及び医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者が禁忌該当者であることは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同4(二)(2)(横室医師らの注意義務違反)のうち、本件接種を担当する横室医師が、被接種者に対し、視診・問診等を十分に行い、もし不審を感じたときは、さらに体温測定・聴打診等をして、禁忌該当者を発見し、この者に対しては接種を中止すべき注意義務を負つていたことは認め、その余の事実は否認する。

5  請求原因5(責任(二)(厚生大臣の行政指導についての過失による国家賠償法一条の責任))について

(一) 請求原因5(一)(厚生大臣の任務・責任等)の事実は認める。

(二) 請求原因5(二)(本件行政指導)の事実は認める。

(三) 請求原因5(三)(公権力の行使)について

厚生大臣の本件行政指導は、国家賠償法一条にいう「公権力の行使」に該当するものではない。

(1) 請求原因5(三)(1)(被告国の方針を実施主体及び国民のうけとめ方)の事実は否認する。

(2) 同5(三)(2)(強制接種についての刑罰)の事実は、明らかに争わない。

(四) 請求原因5(四)(本件行政指導についての厚生大臣の過失)について

(1) 請求原因5(四)(1)(実施すべきでないインフルエンザ予防接種の実施を勧奨した過失)について

(ア) 請求原因5(四)(1)(ア)(インフルエンザの症状等)の事実は認める。

なお、インフルエンザは、ウイルスが抗原変異を起こし、また、動物にも伝播するので種全体としては永遠に生き続けることに特徴があり、人類最後の大疫病といわれている。しかも、インフルエンザは、患者の咳から発せられたウイルスを吸いこんで感染(飛沫感染)するため伝播速度が極めて速く、大流行を起こすおそれが顕著である。

現に大正七、八年にかけてのスペイン風邪流行の際には、全世界の罹患者は七億人、死者二〇〇〇人を超えたのであり、昭和三二年のアジア風邪大流行の時にはわが国における報告患者数九八万三一〇五人、死者七七三五人に及ぶ等数々の惨事を繰り返していることは歴史的事実であり、わが国においてインフルエンザのみを死因として死亡した者の数は、毎年数百、数千人にのぼつているが、インフルエンザに関連した合併症により死亡した者はこの何倍かに達していると推定されているのである。

(イ) 請求原因5(四)(1)(イ)(インフルエンザ予防接種の効果)の事実は否認する。

即ち、流行ウイルスとワクチンの抗原構造が一致した場合、インフルエンザの罹患率曲線と免疫度分布曲線によつてインフルエンザワクチンの効果率を計算すると約八〇パーセントに達するのであり、インフルエンザワクチンの接種によつて赤血球凝集阻止抗体(HI抗体)価が、一二八倍以上あれば、まずインフルエンザには罹患しないという効果が期待でき、HI抗体価が一六倍から六四倍位であれば、発症は軽くて済むという効果が期待できるとされているのである。

また予測がはずれ、接種したワクチンの型と実際に流行したインフルエンザの型がずれたとしても、毎年インフルエンザワクチンを接種することにより、若干でも共通抗原がある限り、翌年の接種において一定の追加免疫効果が期待できるのである。

また、WHOのインターナシヨナル・インフルエンザ・センターは、世界的規模で、流行が予測されるインフルエンザの型を見極めるため、インフルエンザに関する各国の情報を集め、流行の初期の段階にその年に流行が予測されるインフルエンザの型を決定しており、日本の国立予防衛生研究所内にあるナシヨナル・インフルエンザ・センターは、WHOと情報交換をし、日本において接種すべきワクチン株を決定し、厚生省に勧告しているのであり、厚生省においても毎年インフルエンザの流行予測事業を実施しているのである。

(ウ) 請求原因5(四)(1)(ウ)(学童接種の効果)のうち、わが国において、インフルエンザワクチンの学童への接種がインフルエンザの流行に及ぼす影響に関しての原告主張のような二重盲検法による解析をしたデータが存しないこと、インフルエンザワクチン予防接種について、米国においては、老齢者、病弱者等のハイリスクグループに接種する方式を、ヨーロツパの工業国においては、工場従業員に重点をおいて接種する方式を、WHOにおいては、医療関係者、交通通信関係者、治安維持関係者、重要産業従事者等に重点をおいて接種する方式をそれぞれ採用していること、学童はインフルエンザに罹患しても最も死亡率の低い年令層であること及び諸外国ではわが国のような学童接種方式を採用していないことは認め、その余の事実は否認する。

なお、理論的にみてインフルエンザ予防接種の効果率を高めるために特に罹患者の高い集団の接種率を高めれば社会全体への伝播に歯止めをかける効果を生ずることが期待できる。また実証的にみてわが国においては、インフルエンザの流行が起こつた場合、最も罹患率が高いのは五歳ないし一四歳の年齢層の学童である。学童は大人と比較し様々な感染症に対し免疫を持つておらず、病気にかかりやすいが、このことはインフルエンザウイルスに対しても同様である。そのためインフルエンザは、一般地域住民の流行に先がけて集団生活をしている学童を中心に発生し、流行はそこで増幅され、感染を受けた学童が家庭内にウイルスを持ち帰り、家族と接触して家庭内伝播を起こしその結果地域社会に拡大される。したがつて、この最もインフルエンザ罹患率が高い学童の集団に高度の率で接種すれば、高い効果を期待できるのは理の当然であり、そのためわが国では学童接種を勧奨する政策を採用しているのである。

現にインフルエンザ予防接種の形で実施されている米国でモントらが行つた調査研究によればミシガン州のテクムセ市の学童(エレメンタリースクール、ジユニアハイスクール、ハイスクール)の八六パーセントに予防接種を行つた結果、同市の超過疾患率は周辺のアドリアン市に比し、三分の一であつたのであり、学童への接種が有効であることは明らかである。そのうえ、子供のいる家庭といない家庭とのインフルエンザ罹患の危険率を比較すると、前者が後者の約二倍も高いという調査があり、学童が家庭へのインフルエンザウイルス持ち込みに重要な役割をはたしていることを実証した外国文献も存する。

また、諸外国で学童接種方式を採用していないのは、義務教育による就学率自体がわが国と様相を異にするうえ、経済事情や国家全体における政府の指導力の差異、社会においていかなる価値を重視するかの考え方の違い等の理由によるものであり、そのためインフルエンザ予防の主眼をわが国のように流行の防止自体ではなく、流行の結果生ずるであろう致死率の高い集団への伝染の防止(米国)、社会の機能上重要な集団への伝染の防止(WHO)に置くという政策を採用したからにすぎず、決して学童接種がインフルエンザの予防に効果がないためではないのである。

(エ) 請求原因5(四)(1)(エ)(インフルエンザ予防接種の危険性とその予見可能性)のうち、インフルエンザ予防接種は、劇薬であるインフルエンザワクチンを身体に注入するものであること、稀ではあるが右予防接種に伴う事故が発生すること、被告がその事実を知つていたことは認め、その余の事実は否認する。

なお、昭和三七年から同五六年までの間に、厚生省公衆衛生審議会予防接種健康被害認定部会(以下「予防接種健康被害認定部会」という。)において、インフルエンザ予防接種により死亡ないし重篤な後遺症を残したと認定された者の数は、毎年零人ないし七人であつて、事故発生率は一〇〇万分の零ないし〇・七である。

また昭和三七年にはワクチンの効果の向上を主とし副反応事故を可及的に減らす効果もねらい接種回数を一回から二回にすることによつて、一回の接種量を減らし(昭和三七年二月二七日厚生省令五五号)、昭和四五年ころインフルエンザワクチン中の夾雑物を除き、純度の高い不活化ワクチンを供給するためにゾーン超遠心器の利用を開始し、さらに昭和四六年には三歳未満の乳幼児は成人に比し重篤な副反応の発生頻度が高く、これらの年齢層は一般に集団生活を営むことが少なく、インフルエンザ感染の機会が少ないことが判明したため三歳未満の乳幼児への勧奨を中止した(昭和四六年九月二九日防疫課長通知)。また昭和四七年には、エーテル処理により、ウイルス粒子中の糖脂質成分を可溶化して除くことにより、発熱因子を除きかつ雑菌の混入を厳しく規制したHAワクチンを開発し、さらに予防接種研究班等へ多額の研究費を補助して促進させたり、WHOによる国際的統一品質ワクチンの基準を遵守するなどして、予防接種事故の回避に向け様々な観点からできうる限りの努力を重ねてきたのである。

(オ) 請求原因5(四)(1)(オ)(接種勧奨の違法性)のうち、被告国が本件通達を発して、都道府県知事を通じて各市町村にインフルエンザ予防接種の実施を勧奨する旨の本件行政指導をした事実は認め、その余の事実は否認する。

なお、インフルエンザが、毎年いかなる時期にいかなる規模で流行するかを具体的に予測するのは不可能であり、現状は教育委員会では、クラスの欠席率が一五パーセントないし二〇パーセントに達すると学級閉鎖を行つているようであるが、この割合で罹患してしまつた場合、そのクラスの大部分の者が既に感染してしまつているものと予想され、防疫上の効果は少ない。したがつて、学級閉鎖は、防疫対策としては事後的ないし補助的なものであり、インフルエンザワクチン予防接種こそが、唯一の基本的防疫対策である。

(2) 請求原因5(四)(2)(禁忌該当者への接種事故回避のための措置不十分の過失)について

(ア) 請求原因5(四)(2)(ア)(和恵の禁忌該当性)の事実についての認否は、4(二)(1)の認否と同旨。

(イ) 請求原因5(四)(2)(イ)(厚生大臣の禁忌該当者への接種事故回避のための措置不十分)の事実のうち、厚生大臣が本件行政指導に当たり、各都道府県知事を通じ、各市町村に対して、接種を担当する医師等に、インフルエンザ予防接種に当たつては、医師一人が一時間に対象とする被接種者の数が一〇〇人を超えないように厳守させ、禁忌該当者に接種しないようにさせるため事前に視診・問診等を十分行うよう指示すべき旨をも通達すべき義務を負つていたことは認め、この義務を怠つたことは否認する。

なお、昭和三三年に厚生大臣は、それまで予防接種ごとに定められていた予防接種の禁忌事項を実施規則四条に一本化し、また昭和三四年以後数年ごとに厚生省公衆衛生局長は各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法について」と題する通達を発し、予防接種の実施に当たつては予防接種実施要領に従つて実施するよう指導してきたが、右実施要領の右の点に関する主な内容は次のようなものであつた。

〈1〉 接種対象者に対する通知等を行う際には、禁忌等の注意事項も併せて周知させること

〈2〉 予防接種実施計画の作成に当たつては、特に個々の予防接種がゆとりをもつて行われうるような人員の配置に考慮すること、医師に関しては、予診の時間を含めて、医師一人を含む一班が一時間に対象とする人員は、種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度を最大限とすること

〈3〉 都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当たつては、接種従事者に実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令を熟知させること

〈4〉 接種前には必ず予診を行うこと、予診はまず問診及び視診を行い、その結果異常が認められた場合には体温測定・聴打診等を行うこと、予診の結果、異常が認められ、かつ禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合には精密検査を受けるよう指示すること、禁忌については、予防接種の種類により多少の差異のあることを注意すること、多人数を対象として予診を行う場合には、接種場所に禁忌に関する注意事項を掲示し、又は印刷物として配布して、接種対象者から健康状態及び既往症等の申出をさせる等の措置をとり禁忌の発見を容易ならしめること

厚生省ではかかる実施要領や実施規則の内容を周知徹底させるために、各都道府県知事を通じ市町村に通知するほか、医師会等にも通知し、さらに新聞、ラジオ、テレビ等を利用して一般の医師に対する周知徹底を図つてきたのである。

また昭和四五年に厚生省公衆衛生局長及び同省児童家庭局長は、都道府県知事、指定都市市長、政令市長宛に「予防接種問診票の活用等について」と題する通知を発して、効果的に予診を行うための補助手段として問診票を採用することとしたのである。

(ウ) 請求原因5(四)(2)(ウ)(横室医師らの和恵の禁忌該当性の看過)の事実は否認する。

(3) 請求原因5(四)(3)インフルエンザ予防接種が、副反応の危険性を有すること、勧奨接種であることを周知徹底させなかつた過失の(ア)、(イ)の各事実は、いずれも否認する。

なお厚生省に予防接種の実施主体である市町村からインフルエンザ予防接種による事故が報告された件数は、昭和三六年まで一件もなく、昭和三七、三八年に各一件、昭和三九年に三件あつたが、昭和四〇年に五件とそれまでより報告件数が増加した時点で実施主体の注意を喚起するため、厚生省は機関紙である「防疫情報」においてこの事実を公表している。さらに昭和四五年以降は厚生省から補助金を受けて運営している財団法人予防接種リサーチセンター発行の「予防接種制度に関する文献集」においてほぼ毎年予防接種後の副反応の症例研究を公表している。(なお、昭和五五、五八年には厚生省監修の「予防接種ハンドブツク」において予防接種事故審査会、伝染病予防調査認定部会で予防接種事故と認定された症例、件数を公表しているのである。)

6  請求原因6(損害)のうち、(一)(1)の和恵が昭和三八年一月三一日生れの女子であつたこと、(一)(3)の和恵と原告らの身分関係は認め、その余の事実は否認する。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2(死亡事故の発生)の事実について

1  請求原因2(一)(横室医師の本件接種)の事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因2(二)(昭和四八年一二月一三日の和恵の症状等)のうち、和恵が昭和四八年一二月一三日発熱があり、頭痛を訴えたこと、午前一一時五〇分ころ、岸医師の診察を受けたことは当事者間に争いがなく、これと<証拠略>を総合すると、和恵は、昭和四八年一二月一三日の朝、発熱があり、頭痛を訴えたので、午前一一時五〇分ころ、岸医師の診断を受けたところ、体温が三七・六度で、咳及び頭痛を訴え、咽頭発赤が認められたが、扁桃腺腫大、リンパ腺腫脹はなく、胸部う音は聴取されず、頂部強直、けいれん、意識障害は認められず、同医師から、クロマイゾール(クロラムフエニコール)〇・二五グラムの注射を受け、ネオサイクリン(テトラサイクリン)五〇ミリグラム×六錠の二日分の投与を受けた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  請求原因2(三)(一二月一四日午前の和恵の症状等)のうち、和恵が、同月一四日午前一〇時ころ、再度岸医師の診察を受けたこと、その際、体温が三九度八分あり、全身に強度の麻疹様の発疹がみられたことは当事者間に争いがなく、これと前掲<証拠略>を総合すると、和恵は同月一四日、三九度近い高熱を発し、細かい赤色の発疹を全身に発したので、午前一〇時ころ、再度岸医師の診断を受けたが、その際、発熱は三九度八分に及び、頭痛及び嘔気を訴え、リンパ腺腫脹、胸部う音、頂部強直、けいれん、意識障害はなく、咽頭発赤が著明であり、頸部、躯幹、上下肢に多数の強度の麻疹様の発疹が認められ、その発疹は、個々独立し融合せざる散発性の小紅斑で、隆起及び水疱はなく、またかゆみも伴つておらず、岸医師は病名として風疹の可能性を一番疑い、和恵に付添つてきた母親の原告新島美知子に風疹かも知れないと告げ、和恵にクロマイゾール(クロラムフエニコール)〇・五グラムの注射をし、アミノピリン〇・二、フエナセチン〇・二の二包を投与した事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  請求原因2(四)(一二月一四日深夜ころの和恵の症状等)及び同2(五)(和恵の死亡までの症状及び直接死因)の各事実は当事者間に争いがない。

三  請求原因3(因果関係)について

1  請求原因3(一)(因果関係の判定基準)について

一般にワクチン接種と副反応との間の法的な因果関係は、前記請求原因3(一)のとおり、〈1〉時間的密接性、〈2〉症候論的無矛盾性、〈3〉他原因の除外可能性の三要件が満たされる場合に肯定されるものと解するのが相当である。

(この点については、原、被告とも異論がない。)

2  請求原因3(二)(時間的密接性)の事実は、当事者間に争いがない。

3  請求原因3(三)(症候論的無矛盾性)について

(一)  請求原因3(三)(1)(インフルエンザHAワクチン接種によるアレルギー性脳炎発生の蓋然性)について

(1) 和恵の前記二2ないし4において認定した直接死因である脳炎に至る一連の身体異常の主症状は、神経領域に関連するものと認められる。

(2) ところで、インフルエンザHAワクチンは、不活化ワクチンであるから、同ワクチン接種の副反応として、ワクチンウイルスにより脳炎は考えられないことは、当事者間に争いがない。

次に、<証拠略>を総合すると、インフルエンザ・ウイルスは一般的に球形で、八〇ないし一二〇ナノ・メートルの直径をもち、その表面には、インフルエンザの感染を防ぐ作用のあるHI抗体を作るもととなるヘムアグルチニン(赤血球凝集素(HA))と、ウイルスの体内拡散を防ぎ、臨床症状の軽症化などの作用を有するNI抗体を作るもととなるノイラミニダーゼ(NA)という二種類の突起状のスパイクがあり、これら二種のスパイクの一端は糖脂質層に埋め込まれており、その内側には一層の膜蛋白があり、その内側に包まれて核蛋白(RNP)が存するが、この核蛋白等には感染防禦作用がないものであるところ、インフルエンザHAワクチンは、ゾーン超遠心機によつてウイルス粒子を精製濃縮した後、そのウイルス粒子中の糖脂質をエーテル処理により除去したものであるが、HAワクチン中には、エーテル処理により小さく分解されたHA、NA、膜蛋白、核蛋白などの蛋白成分が含まれている事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、前掲<証拠略>を総合すると、インフルエンザHAワクチンは、インフルエンザウイルスに右のようなエーテル処理を行つて糖脂質を除去した点で右処理を行つていない従前の全ウイルスインフルエンザワクチンよりは安全であるが、右のとおりワクチンウイルスを構築している核蛋白等の蛋白成分が残存していて、これと同じワクチン製造過程で必然的に含有されることとなる卵蛋白が異種蛋白として極めて稀ではあるが、アレルギー性脳炎を含む神経領域を侵襲する作用(アレルギー反応)として副反応の原因となりうることが認められる。

(3) インフルエンザワクチン接種後の副反応に関する報告例

<証拠略>によると、予防接種健康被害認定部会においてインフルエンザ予防接種により死亡ないし重篤な後遺症を残したと認定された者は、昭和三七年から同四六年までで合計三五人で毎年零人ないし七人、事故発生率は一〇〇万分の零ないし〇・七であり、HAワクチンに切りかえられた昭和四七年から同五六年までで合計一五人で、毎年零人ないし三人(但し、同五五年のみ七人)、事故発生率は一〇〇万分の零ないし〇・二(但し、同五五年のみ百万分の〇・六)であり、また昭和五〇年ないし五六年次接種分につき、右部会において認定された全副反応例の集計は合計四六例(うち脳炎が一例、脳症が二例)であり、発生率は、一〇〇万分の〇・五三であることが認められる。

また、<証拠略>を総合すれば、わが国におけるインフルエンザ予防接種による副反応の事例として、昭和三八年から同五五年までに医学雑誌上で報告されたものは、少なくとも三〇数例存在し、そのうち少なくとも、数例はHAワクチンによるものであることが認められる。

また、<証拠略>によると、海外においてインフルエンザワクチン接種後の脳炎、脳症、脳背髄炎等の神経傷害の報告例として、少なくとも約四〇例が存するとされ、その他昭和五一年から同五三年まで(一九七六年から八年まで)の間に米国で遅延型アレルギー反応としても現われるギランバレー症候群(末梢神経に現われる多発性神経炎)が、右ワクチン接種後に多発したと報告されていることが認められる。

さらには、<証拠略>によれば、西ドイツのヘネツセンらの報告によると昭和四三年から同四七年まで(一九六八年から七二年まで)の間に毎年約二〇〇ないし四〇〇万人にインフルエンザ全ウイルスを使つた古い型のワクチンを接種したところ神経学的病変が毎年三ないし四例(一〇〇万人接種当たり一・二プラスマイナス〇・三例)発生したが、昭和四八年から同五一年まで(一九七三年から六年まで)の間に毎年約三〇〇ないし四〇〇万人にインフルエンザSPウイルス(分解ウイルス(精製))を使つたワクチン(HAワクチンに相当する。)を接種したところ、神経学的病変がやはり毎年一ないし三例(一〇〇万人接種当たり〇・七プラスマイナス〇・三例)発生したとされていることが認められる。

また、<証拠略>を総合すると、被告国からの全額補助による研究費によつて運営されている財団法人予防接種リサーチセンターから発行された予防接種制度に関する文献集(Ⅰ)ないし(Ⅱ)に、インフルエンザワクチン(HAワクチンについても)接種後の神経傷害等の副反応の報告例が多数掲載されていることが認められる。

そして、右各認定事実を覆すに足りる証拠はない。

(4) 右に対し、被告は、インフルエンザワクチンは狂犬病ワクチンと異なり、製法上神経組織が全く含まれておらず、また脳物質以外の向神経性共通抗原の存在についても仮説の域を脱していないため、インフルエンザワクチン接種によつて脳炎を起こすことは現代医学上考え難い旨主張し、<証拠略>中には、右主張に添うが如き同証人の供述記載部分があるが、右(2)説示のとおりの原因でアレルギー反応が起こりうることが考えられることに照らすと直ちに採用することはできない。

(5) また、被告は、インフルエンザワクチン接種後に数々の神経症状を呈した症例報告が散見されることを認めつつも、これらによつて特定の病型及び接種から発症までの時間に集積性を認めることはできない旨主張する。そして右に添うが如き、証人木村三生夫の供述記載があり、また前掲中には、ヘネツセンらの、接種数の増加にもかかわらず症例報告数が減少していること、極めてさまざまな症状、経過が認められ、したがつて、統一的な特徴をもつた脳炎のタイプというものを見い出すことができなかつたことから、インフルエンザワクチン接種とその後の神経疾患との因果関係について懐疑的である旨の記載があり、<証拠略>には、それぞれ、グエレロらの、米国で行われたインフルエンザワクチン(A/ニユージヤージー/七六型)接種後に出現した脳炎又は髄膜脳炎の発生率は、一〇〇万人につき〇・四二例であり、右疾患の予測されるバツクグランド発生率より有意に大きいとはいえない旨の記載、シプリーらの、一般人のインフルエンザワクチン接種に対する全身反応のうち神経学的反応は稀であり、それは主として、原因及び病理の不明な脳症の散発例であり、ワクチン接種に関連して発生したその他の神経学的症状をもつ症例(リンパ球増加に伴う脳炎等を含む。)の場合、因果関係はより不確実なものと考えられる旨の記載がある。しかしながら、前掲<証拠略>によれば、インフルエンザワクチン接種による副反応の実態及びその発症のメカニズムや脳炎の原因は、未だ研究途上にあつて、最高水準の医学知識をもつてしても、十分には解明されるに至つておらず、したがつて、インフルエンザワクチン接種とその副反応との間の因果関係の判定が極めて困難な状況にあることが認められ、右各記載によつても、右(3)の報告例を無視ないし軽視することはできない。

(6) 以上、(2)ないし(5)の各認定事実を合わせ考えると、経験的に医学上の知見からみて、インフルエンザHAワクチンの接種によつて、アレルギー性脳炎が起こりうる蓋然性があるものと解するのが相当である。

(二)  請求原因3(三)(2)(和恵の本件病状についての症候論的無矛盾性)について

(1) インフルエンザHAワクチン接種の副反応として発疹の生ずることがありうることは当事者間に争いがない。そして、前掲<証拠略>によると、予防接種健康被害認定部会において認定されたインフルエンザ予防接種による副反応例(昭和五〇年から同五六年までの接種分)において発疹が九例あつたことが認められる。ところで、被告は、前記請求原因に対する認否3(三)(2)(ア)(和恵の発疹の態様)のとおり述べ、和恵の発疹は、インフルエンザワクチンの副反応としての薬疹とみるべきものでない旨主張する。

しかしながら、インフルエンザHAワクチンの副反応としての発疹が薬疹という範ちゆうに入るとしても、被告が薬疹の態様として主張するところは、その主張自体においても、一般的にそのような態様を呈する場合が多いというにすぎず、弁論の全趣旨によれば、発疹の態様からその原因を決定的に診断することは極めて困難であることが認められ、この事実に照らすと、和恵の発疹の態様が右副反応による発疹であることを否定することはできないし、また、薬疹の場合に、被告が主張するような発疹の態様を呈することが多いことを認めるに足りる証拠もない。

さらに、被告は、これまでの給付申請例にも、和恵のような「脳炎を伴つた発疹」の例はない旨主張するが、すでに説示したように、インフルエンザHAワクチン接種と脳炎との間及び同接種と発疹との間に、それぞれ症候論的な矛盾は認められないのであるから、脳炎と発疹が同時に生じても矛盾があるとはいえないし、前掲<証拠略>によれば、麻疹様発疹を伴う脳炎の報告例もあるから、右主張も採用できない。

(2) また、被告は、請求原因に対する認否の3(三)(2)(イ)のとおり、和恵は事故前四年間にわたり毎年インフルエンザの予防接種を受けていたのであつて、もし、インフルエンザワクチンと関係のある発疹、特にアレルギー体質に基づく発疹であれば、過去の接種時にも発疹が現れてしかるべきなのにその形跡が存しない旨主張するが、<証拠略>によれば、アレルギー性の発疹であるならば、抗原物質であるワクチンが接種され、その生体内で抗体が産生され、その後抗原であるワクチンが接種された際抗原と抗体とが反応して生ずるものであるから、むしろ原則的には初回接種では生じないものであり、そして数回の接種後突然発疹などのアレルギー反応が生ずる可能性が存することが認められ、この事実に照らすと、右主張も理由がない。

(三)  以上の各事実を合わせ考えると、本件接種によつて和恵の前記各症状が生ずることについては、厳密な自然科学的証明がなされているとまではいえないが、経験的に医学上の知見から見て、矛盾なく説明できると解するのが相当である。

4  請求原因3(四)(他原因の除外可能性)について

(一)  前掲<証拠略>を総合すれば、和恵は、虫垂炎、麻疹、扁桃腺炎に罹患した以外は重い病気に罹患したことはなく、年に一、二回風邪に罹患するくらいであつて健康体であつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  前記二の2、3において認定のとおり、和恵は、岸医師から、昭和四八年一二月一三日、クロマイゾール(クロラムフエニコール)〇・二五グラムの注射とネオサイクリン(テトラサイクリン)五〇ミリグラム×六錠の二日分の投与を受け、翌一四日、クロマイゾール〇・五グラムの注射とアミノピリン〇・二、フエナセチン〇・二の二包の投与を受けた事実が認められるが、前掲<証拠略>を総合すると、右各薬剤は、和恵の前記脳炎の原因としては、除外されることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。また<証拠略>によれば、和恵は、右の当時、医師から処方を受けた右各薬剤以外の薬剤を摂取しなかつた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  請求原因3(四)(3)(ウイルス性伝染病との関連性)について

(1) 前掲<証拠略>を総合すると、太田保健所は、昭和四八年一二月一八日、和恵から血液、咽頭粘液、便、髄液を採取し、これらを翌一九日、群馬県衛生研究所に送付し、和恵の死亡がインフルエンザ予防接種による事故か、コクサツキーウイルスによるものかの検査を依頼し、同研究所は、サル腎細胞、人胎児肺細胞、乳のみマウスに右四種類の検査材料のそれぞれを接種し、ウイルス分離を試みたが、結果はいずれも陰性であり、ウイルス様粒子は認められないとの判定がなされた事実が認められる。

また、前掲<証拠略>を総合すれば、本件事故当時尾島町に発疹性流行病は発生していなかつた事実が認められる。

もつとも前掲<証拠略>によれば、岸医師は、昭和四八年一二月一四日の和恵の症状について風疹の可能性が一番高いと診断した事実が認められるが、<証拠略>によれば、リンパ腺の腫脹がみられるのが風疹の特徴的症状であると認められるところ、<証拠略>によれば、右の際リンパ腺の腫脹は存在しなかつたことが認められるから、風疹は、原因としては、一応除外することができる。

(2) <証拠略>によれば、ウイルスが存在すればウイルス検査の結果において必ず分離されるとは限らず、右検査において陰性であつたからといつてウイルスが存在しなかつたといい切ることはできないこと、ウイルス性疾患には不顕性感染ということもありうることが認められる。

被告は、和恵が、昭和四八年一二月一三日、岸医師の診察を受けた際、咽頭発赤が認められ、そして翌一四日再び同医師の診察を受けた際、咽頭発赤が著明であつたことからウイルス感染を裏付けるものといつてよいと主張し、前記二2及び3において認定のとおり右咽頭発赤の事実が認められる。

しかしながら、被告の主張自体によつても、単に咽頭発赤が著明であつたことが、ウイルス感染を裏付けるものといつてよいという程度の主張であるにすぎず、また、咽頭発赤が著明であれば、直ちにウイルス感染が原因であるとの的確な証拠もない。

また、被告は、和恵の発疹について、むしろウイルス性発疹を窺わせるものとも主張するが、<証拠略>によれば、ウイルス感染症は各種の発疹形態を呈するものであることが認められ、また弁論の全趣旨によれば、発疹の態様から原因を決定的に診断することは極めて困難であることが認められる。

一方、証人堀誠は、和恵の本件各症状に添うようなインフルエンザワクチン接種後の副反応の報告例がないとして、インフルエンザワクチン接種によるアレルギー反応を、原因として否定したうえで、同人の症状である咽頭発赤、水泡、発疹、発熱、肝機能障害等から、同人の死因としてインフルエンザワクチンによるものよりも、発疹と口腔内水泡を伴う上気道感染症を原因とするライ(Reye)症候群によるものであると推定される旨証言する。しかしながら、和恵に水泡の症状がみられたとの証拠はなく、前記三3において認定判断したとおり、和恵の各症状はインフルエンザワクチン接種によるアレルギー反応としても症候論的に矛盾なく説明できる。また、<証拠略>を総合すると、ライ症候群というのは病名ではなく一群の病的変化にすぎないのであり、しかもこれを引き起こす原因は多種多様であり、インフルエンザ予防接種自体を原因としてライ症候群が発生することも考えられないわけではなく、結局ライ症候群ということ自体がインフルエンザワクチン接種と和恵の死亡との因果関係を必ずしも否定するものではないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 滝沼かおるの症状との関連

前掲<証拠略>を総合すると、本件接種後、和恵と同様に発疹と発熱を生じた者として、滝沼かおるがおり、同人には他の症状として、咽頭発赤、口蓋における小水疱の散在がみられ、約二年半後の昭和五一年六月に同人の血清について発疹性疾患中の主なるものについて免疫体の検査をしたところ、風疹のHI抗体価が三二とかなり高かつたが、その約二年半の間同人は風疹に罹患したことがなかつた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

しかしながら、前掲<証拠略>によると、右医師鈴木功一の右滝沼に対する退院時診断名は、咽頭炎兼中毒疹であつて、風疹ではないことが認められ、前掲<証拠略>によると、風疹においては発熱はほとんど認められず、認められても一、二日で消失し、三日以上持続することは少ないとされているところ、右滝沼の発熱は約一〇日間続いていたことが認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。

(4) 右(1)ないし(3)で認定した各事実を合わせ考えると、和恵の直接死因である脳炎の原因としては、ウイルスを原因とするのではないかとの疑問を自然科学的証明としては、完全に払拭できるとはいえないが、経験的には、ウイルスが原因ではないとの見方も十分に可能であるといわなければならない。

(四)  右(一)ないし(三)で認定したとおり、和恵の直接死因である脳炎の原因としては、本件接種以外の原因はいずれも除外して考えることが、経験的に医学上の知見からみて可能であることが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

5  以上の2ないし4で認定判断したように、本件接種と和恵の直接死因である脳炎の発症との間に、時間的密接性があり、和恵の各症状との関係が経験的に医学上の知見からみて矛盾なく説明することができ、右脳炎の原因としては、本件接種以外の原因はいずれも除外して考えることが経験的に医学上の知見からみて可能であるから、結局、本件接種と和恵の死亡との間に法的な因果関係、即ち、一点の疑義も許されない自然科学的な因果関係ではないが、経験則に照らして、通常人であれば誰でも疑いを差し挾まずに両者の関係を首肯しうる程度の高度の蓋然性があるものといわなければならない。

四  請求原因4(責任(一)(接種担当者横室医師の過失による国家賠償法一条の責任))について

1  請求原因4(一)(被告国の公権力の行使に当たる公務員)について

(1)  全立証によつても、請求原因4(一)(1)(被告国の機関委任事務としての本件接種)の事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、右請求原因4(一)の主張は、本件接種が、予防接種法に基づき被告国の機関委任事務として行われたのではなく、いわゆる勧奨接種として行われたものであるとしても、請求原因5(三)(公権力の行使)の(1)、(2)の各事実をも合わせ主張して、横室医師が実質的にみて被告国の公権力の行使に当たる公務員として本件接種を実施したものであるとする趣旨の主張と善解したとしても、右請求原因5(三)の(1)、(2)の各事実は、後記のとおり、被告国の本件行政指導が公権力行使に該当することを基礎づけるものとなりえても、その場合でも、本件接種を実施する実施主体自体はあくまで尾島町であつて、被告国ではなく本件接種の実施自体は同町の公権力の行使として行われるものであるから、右主張は、理由がない。

2  接種担当者である横室医師が被告国の公権力の行使に当たる公務員といえないことは、右1に説示したとおりであるから、請求原因4(二)(接種担当者の過失)について判断するまでもなく、請求原因4の主張は理由がない。

五  請求原因5(責任(二)(厚生大臣の過失による国家賠償法一条の責任))について

1  請求原因5(一)(厚生大臣の任務・責任等)の事実は、当事者間に争いがない。

2  請求原因5(二)(本件行政指導)の事実は、当事者間に争いがない。

3  請求原因5(三)(公権力の行使)について

(一)  請求原因5(三)(1)(被告国の方針と実施主体及び国民のうけとめ方)の事実は、<証拠略>を総合すれば、これを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  請求原因5(三)(2)(強制接種についての刑罰)の事実は被告において明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

(三)  一般に、行政指導とは、命令、禁止等の行政処分とは異なり、法的拘束力を有せず、単に行政指導の相手方に一定の行為を期待するにすぎない非権力的作用であると解されるが、右(一)及び(二)の各認定事実を合わせ考えると、被告国の厚生大臣は、毎年各都道府県知事を通じて各市町村に対し、実施方法等を詳細に定めて本件行政指導を行つており、各市町村も事実上選択の自由もなくこれに従つて勧奨接種を実施しており、各市町村は、実施に当たり、回覧等の方法で国民に対し接種を受けるよう勧奨し、国民も、勧奨接種と強制接種の違いについて特段意識することなく、強制接種と同様必ず受けるべきものと考えて接種を受けていたのが当時の社会一般の実情であつたのであるから、このような実情のもとにおいては、本件行政指導は、国家賠償法一条にいう「公権力の行使」に該当するものと解するのが相当である。

4  請求原因5(四)(本件行政指導についての厚生大臣の過失)について

(一)  請求原因5(四)(1)(実施すべきでないインフルエンザ予防接種の実施を勧奨した過失)について

(1) 請求原因5(四)(1)(ア)(インフルエンザの症状等)の事実は当事者間に争いがない。

しかしながら、一方、前掲<証拠略>を総合すると、次の事実を認定することができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

即ち、インフルエンザは、ウイルスが抗原変異を起こし、また、動物にも伝播するので種全体としては永遠に生き続けることに特徴があり、人類最後の大疫病といわれている。しかも、インフルエンザは、患者の咳から発せられたウイルスを吸いこんで感染(飛沫感染)するため伝播速度が極めて速く、爆発的な大流行を起こすおそれが顕著である。

現に大正七、八年にかけてのいわゆるスペイン風邪流行の際には、全世界の罹患者は七億人、死者二〇〇〇人を超えたのであり、昭和三二年のいわゆるアジア風邪大流行の時にはわが国における報告患者数九八万三一〇五人、死者七七三五人に及ぶ等数々の惨事を繰り返してきた。

わが国においてインフルエンザのみを死因として死亡した者の数は昭和三九年以降でも毎年約一〇〇人から約五〇〇〇人、死亡率にして約一〇〇万分の一から約一〇〇万分の五一にのぼつているが、インフルエンザの流行年には超過死亡の著明な増加があり、肺炎、気管支炎等、インフルエンザに関連した合併症により死亡した者はこの何倍かに達していると推定されている。

(2) 請求原因5(四)(1)(イ)(インフルエンザ予防接種の効果)について

前掲<証拠略>を総合すると次の事実を認定することができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

インフルエンザウイルスの抗原構造の違いによる株の種類は多く、毎年流行するインフルエンザの抗原構造は次々と変化し、そのためワクチンが効かないことがあり、ことに、不連続変移が起きたときは従前のワクチンはほとんど効かない。しかしながら、抗原構造の変移に対処して、流行する株に有効なワクチンを予め用意することは困難であり、またインフルエンザワクチン接種による免疫効果の持続期間も長くて五、六か月間にすぎない。したがつて、インフルエンザワクチンによる感染予防は有効な方法とはいえないとする見解や有効であるにしてもその有効性はかなり限定的であるとする見解がある。

しかしながら、前掲<証拠略>を総合すると、次の事実を認定することができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

即ち、流行ウイルスとワクチン抗原構造が一致した場合、インフルエンザの罹患率曲線と免疫度分布曲線によつてインフルエンザワクチンの効果率を計算すると約八〇パーセントに達するのであり、インフルエンザワクチンの接種によつて赤血球凝集阻止抗体(HI抗体)価が、一二八倍以上あれば、まずインフルエンザには罹患しないという効果が期待でき、HI抗体価が一六倍から六四倍位であれば、発症は軽くて済むという効果が期待できるとされている。

また予測がはずれ、接種したワクチンの型と実際に流行したインフルエンザの型がずれたとしても、毎年インフルエンザワクチンを接種することにより、若干でも共通抗原がある限り、翌年の接種において一定の追加免疫効果が期待できる。

流行前の抗体価が一六倍以下の者の感染率は四三パーセントと高いが、一六倍の者では二四パーセント、三二倍の者では一八パーセント、六四倍の者では五パーセント、一二八倍以上の者からは感染がないという調査結果、感染前の抗体価が低い程重症者が多く抗体価が高くなるにつれて不顕性感染者が増加する傾向にあることを示す調査結果、接種率が高くなるにつれて予防効果が高くなる傾向にあることを示す調査結果、流行株と抗原構造の一致したワクチンを流行前に接種できたアジア風邪と香港風邪の流行の際や流行株と極めてわずかに抗原構造の違いのあるワクチンを流行前に接種できた昭和三七年の流行の際にはワクチンの個人の感染予防効果及び伝播防止効果は満足すべきものであつた旨の調査結果及び香港風邪では出現後にたびたび抗原変異を起こしたから、ワクチンの予防効果がはつきりしない場合が多かつたが、この場合でも、流行株と抗原構造が一致したワクチンには予防効果があることを示唆する旨の調査結果がそれぞれ存在する。

またワクチンの予防効果を高めるためには次の年に流行するウイルス株を予測することが最も重要なことだが、WHOのインターナシヨナル・インフルエンザ・センターは世界的規模で、流行が予測されるインフルエンザ型を見極めるため、インフルエンザに関する各国の情報を集め、流行の初期の段階にその年に流行が予測されるインフルエンザの型を決定しており、日本の国立予防衛生研究所内にあるナシヨナル・インフルエンザ・センターは、WHOと情報交換をし、日本において接種すべきワクチン株を決定し、厚生省に勧告しているのであり、厚生省においても毎年インフルエンザの流行予測事業を実施しているのである。そして、右のような種々な調査と経験を背景にしたワクチン株の選定は、それほど遠く離れていない流行株を当てているとされている。

なお、原告は、前掲甲第四九号証の杉浦昭の論文を挙げて、インフルエンザワクチンには感染予防効果は認められても、発病予防効果は有意義とはいえないと右杉浦が論じている旨主張するが、<証拠略>によると、インフルエンザBウイルスに対するインフルエンザワクチンの防禦率は高くなかつたとする野外調査の結果が得られたという記載部分はあるが、必ずしも、原告主張のように一般的に発病予防効果が有意義でないと右杉浦が論じているとは認められない。

(3) 請求原因5(四)(1)(ウ)(学童接種の効果)について

前掲<証拠略>によると、昭和三五年以後、米国のカンザス・シテイ、シアトル、パナマ運河地帯、英国シレンセスターにおける調査で罹患率は必ずしも若年齢層に高いとは限らないという報告がなされている事実が認められる。

しかしながら、前掲<証拠略>によると、わが国においては、前記アジア風邪流行時から本件接種時を経て最近に至るまで、疫学的にみて学童のインフルエンザ罹患率が他の年令層に比して著しく高いという様相が、基本的には変化なく認められ、本件接種後の昭和五一年三月二二日、伝染病予病調査会(豊川行平会長)は、「我が国におけるインフルエンザは、保育所、幼稚園、小中学校など集団生活をする小児により流行するので、これらの集団の免疫度を一定水準に維持するため、予防接種を行う必要がある。」旨厚生大臣に対し答申している事実が認められ、また、前掲<証拠略>によると、ある集団の罹患率は、ウイルスの感染力、過去の感染の残した免疫の程度、人口構成や密度、生活様式等多数の要因により左右されるものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、前記認定のような諸外国における数例の調査結果が、右のようなわが国における疫学的様相の認定を左右するに足りるものとは認められない。

また、海外においても前掲<証拠略>によると、昭和三二年、米国オハイオ州クリーヴランドにおけるアジア風邪の流行の際の調査によると、年令別罹患率は学童期が最も高く、家庭内で誰が最初に罹患したかについても、学童が最初に罹患した割合が著しく高かつたのであつて、学校内におけるウイルス伝播が集団全体における流行の先駆的役割を果たすという事実が判明したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

また、前掲<証拠略>を総合すると、右のとおりわが国では、アジア風邪流行時からインフルエンザの流行が起こつた場合最も罹患率が高いのが、学童であり、学校におけるインフルエンザウイルスの伝播が集団全体における流行の先駆けとなり、そして流行を増幅するなど重要な役割を果していることが判明したため、被告国は、インフルエンザ罹患率が高い学童の集団に高い率で接種すれば高い効果を期待できるとして学童接種を勧奨する政策を採用したことが認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、<証拠略>によると、インフルエンザ予防接種が任意接種の形で実施されている米国でモントらが行つた調査研究によればミシガン州のテクムセ市の学童(エレメンタリースクール、ジユニアハイスクール、ハイスクール)の約八六パーセントに予防接種を行つた結果、同市の超過疾患率は周辺のアドリアン市に比し、所要の修正措置をとつた後でも三分の一であつたこと、ロンジニは、その論文において一八歳未満の家族構成員がいる家庭の人が社会から感染を受ける可能性は、どの年令においても、子供がいない家庭の場合より約二倍高いと結論され、このことは、学校・保育所及び子供が集まる集団が伝播に重要な役割を果すことを示唆していると論じていることが認められる。

なお、わが国においてインフルエンザワクチンの学童への接種がインフルエンザ流行に及ぼす影響についての原告主張のようなプラシーポ群を含む二重盲検法による解析をしたデーターがないことは当事者間に争いがなく、前掲<証拠略>によると昭和五四年三月に米国の専門調査団が訪日し、その調査報告書を発表しているが、わが国の学童への系統的な定期予防接種という防疫施策が、インフルエンザ罹患率や超過死亡などの減少にどれほどの効果を示しているか正確なデータに乏しく、そのため有効性を指摘することは困難であつた旨述べている事実が認められる。

しかしながら、前掲<証拠略>によると、右のようなデータが得られていないのは、わが国においては、永年勧奨接種ないし臨時接種として全国のほとんどすべての学校で一律にインフルエンザ予防接種が集団的に行われてきたので非接種校がなく、接種校と非接種校とを対比したデータを得ることが困難であるためであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、右のようなデータがないことから直ちに学童接種の必要性、有効性が否定されることにはならない。

また、インフルエンザワクチン予防接種について、米国においては、老齢者、病弱者等のハイリスクグループに接種する方式を、ヨーロツパの工業国においては、工場従業員に重点をおいて接種する方式を、WHOにおいては医療関係者、交通通信関係者、治安維持関係者、重要産業従事者等に重点をおいて接種する方式をそれぞれ採用していること、学童がインフルエンザに罹患しても最も死亡率が低い年令層であること及び諸外国ではわが国のような学童接種方式を採用していないことは当事者間に争いがない。

しかしながら、弁論の全趣旨によれば、諸外国は、わが国とは、義務教育の就学率、経済事情、国家全体における政府の指導力、社会において重視される価値などの点において少なからぬ差異があり、インフルエンザ予防の主眼をわが国のような流行の防止自体ではなく、例えば米国では致死率の高い集団への伝染の防止、WHOでは社会の機能上重要な集団への伝染の防止にそれぞれ置くという政策を選択したものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

したがつて、諸外国とわが国の接種方式の差は、防疫政策選択の差異に基づくものというべきであつて、わが国の方式が諸外国のそれと異なるという理由で、その必要性、有効性が否定されることにはならない。

以上説示したところによれば、学童接種方式も、防疫対策としての感染予防又は学童自身の発病予防のため、必要性、有効性があるとの見解にも十分な根拠があるから、被告国の厚生大臣がこの方式を選択して採用したことが違法であるとはいえない。

(4) 請求原因5(四)(1)(エ)(インフルエンザ予防接種の危険性とその予見可能性)について

前記三3(一)(3)(インフルエンザ接種後の副反応に関する報告例)において説示したとおり、いくつかの事故報告例がある。

そして、被告国が稀にインフルエンザ予防接種に伴う事故があることを知つていたことは当事者間に争いがなく、これと右事故報告例及び弁論の全趣旨を合わせ考えると、被告国の厚生大臣は、インフルエンザ予防接種に伴う事故例の報告を受け、また医学雑誌、医学文献総覧等の右事故例を記載した医学文献を参照する等により、本件接種当時までに発表されていたいくつかの副反応例を当時知りえたのであつて、右予防接種に伴う事故発生の可能性を予見していたものと推認することができる。もつとも、前記三3(一)(5)に認定したとおり、現在に至るも、なおHAワクチン接種の副反応の発生機序、即ち脳炎等の脳症状が発生するメカニズムは、未だ完全に解明されるには至つていないこと及びHAワクチン接種とその副反応との間の因果関係の判定は、現在でもなお困難であることも認められる。

そして、前掲<証拠略>を総合すると、被告国は右のような事故を減少させるため、まず、昭和三七年にはワクチンの効果の向上を主とし副作用事故を可及的に減らす効果もねらい接種回数を一回から二回にすることによつて、一回の接種量を減らし(昭和三七年二月二七日厚生省令五五号)、昭和四五年ころインフルエンザワクチン中の夾雑物を除き、純度の高い不活化ワクチンを供給するためにゾーン超遠心器の利用を開始し、さらに昭和四六年には三歳未満の乳幼児は成人に比し重篤な副反応の発生頻度が高く、これらの年齢層は一般に集団生活を営むことが少なく、インフルエンザ感染の機会が少ないことが判明したため三歳未満の乳幼児への勧奨を中止し(昭和四六年九月二九日防疫課長通知)、また昭和四七年には、エーテル処理により、ウイルス粒子中の糖脂質成分を可溶化して除くことにより、発熱因子を除きかつ雑菌の混入を厳しく規制したHAワクチンを開発し、さらに予防接種研究班へ多額の研究費を補助して研究を促進させたり、WHOによる国際的統一品質ワクチンの基準を遵守するなどし、予防接種事故の回避に向け様々な観点からできうる限りの努力を重ねてきた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(5) 請求原因5(四)(1)(オ)(接種勧奨の違法性)について

(ア) 請求原因5(四)(1)(オ)のうち、被告国が本件通達を発して、都道府県知事を通じて各市町村にインフルエンザ予防接種の実施を勧奨する旨の本件行政指導をした事実は当事者間に争いがない。

(イ) 前掲<証拠略>によると、インフルエンザ感染防止対策として最良のものは学級閉鎖であり、これをもつて十分とすべきである旨の見解が存する事実が認められる。

また、<証拠略>によれば、デンマークでは学童にはワクチンは接種せず、インフルエンザ流行時には学校を長期間閉鎖するが、ヨーロツパの他の国々でもほぼ同様であること、ソ連では、都市にインフルエンザの流行が発生し罹患率が一定値に達した時点で、市内の全小中学校を一〇日ないし二週間閉鎖し、学童を家庭から外出させない方法がとられていることが認められる。

しかしながら、右<証拠略>によれば、インフルエンザが、毎年いかなる時期にいかなる規模で流行するかを具体的に予測するのは不可能であり、現状は教育委員会では、クラスの欠席率が一五パーセントないし二〇パーセントに達すると学級閉鎖を行つているとされているが、この割合で罹患してしまつた場合、そのクラスの大部分の者が既に感染してしまつているものと予想され、したがつて、この時点での学級閉鎖はクラス内の流行を阻止することはできず、防疫上の効果は少ないとの見解があり、一方、流行が急激に進行しつつある時点では、その学校の流行のピークに近い時点から一週間ないし一〇日間休校すればその学校の流行は著明に減弱するから、一日に突然クラスの新患欠席者が四人ないし五人以上に達した時点で一週間学級閉鎖をすればそのクラス内の流行の緩和に役立つとする見解もあるが、流行がさらにひどくなつてくるかどうかの判断は困難であり、また入試等の教育制度との関係で諸外国とは異なり、右のような長期間の学級閉鎖を実施できるかどうかに困難な点もあり、学級閉鎖による防疫方法にも制約がある。

また、前掲<証拠略>を総合すれば、現在の医学においてインフルエンザに対する効果的な予防方法としては、ワクチン接種が唯一の方法であり、他に満足すべき予防方法は存しないとの見解が有効であることが認められる。

以上の各事実を合わせ考えると、現段階においては、学級閉鎖は、防疫対策としては、あくまで事後的ないし補助的な手段として採用するにとどめるのが相当であると解される。

(ウ) 前掲<証拠略>によると、インフルエンザワクチン接種、特に学童接種は危険性が大であるにもかかわらず有効性が小であり中止すべきであるとする医学専門家の見解があることが認められるが、前掲<証拠略>によるとインフルエンザワクチンの有効性(特にワクチン接種後の副反応の危険性との比較においての)を立証するデータが得られていないことから、インフルエンザワクチン接種、特に学童接種に対する再検討等が必要であるとしつつも、学童接種を中止すべきであるとまでは述べていない医学専門家の見解もあることが認められるほか、前掲<証拠略>によると現在のインフルエンザHAワクチンは、有効性、副反応の危険性の両面からみて完全なものではなく、今後も、有効性を高めるとともに副反応の危険性を最小とすべく努力がなされるべきである等としつつも、インフルエンザHAワクチンの学童らに対する接種の有効性を主張し、その勧奨自体については肯定する多数の医学専門家の見解もあることが認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。

(エ) また、前掲<証拠略>を総合すると、学童に対するインフルエンザワクチン接種は、接種を受けた当該学童に右認定のような免疫効果を付与してその学童自体をインフルエンザの罹患から防衛するとともに、多数の学童に接種することによつて社会全体のインフルエンザの流行を予防する効果を期待することができることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。(したがつて、社会防衛という公共の利益のため学童ら個人の利益を犠牲にしているとはいえないから憲法一三条に違反するとはいえない。)

(オ) 右(ア)ないし(エ)の各事実によつて考えると、(二)インフルエンザ予防接種には、副反応の危険性を斟酌しても、なおその必要性、有効性が認められ、被告国の厚生大臣がインフルエンザの流行に対する防疫対策としてインフルエンザ予防接種の実施を勧奨する旨の行政指導を選択したことは、厚生大臣の裁量権の行使として合理性を有していたというべきであり、したがつて、右選択は、厚生大臣として許容されている裁量権の範囲内の行使であつて、これを違法と解することはできない。

(6) したがつて、請求原因5(四)(1)(実施すべきでないインフルエンザ予防接種の実施を勧奨した過失)は理由がない。

(二)  請求原因5四(2)(禁忌該当者への接種事故回避のための措置不十分の過失)について

(1) 請求原因5(四)(2)(ア)(和恵の禁忌該当性)のうち、有熱患者及び医師が予防接種を行うことが不適当と認める疾病にかかつている者は禁忌該当者であることは当事者間に争いがなく、<証拠略>中には、和恵が風邪に罹患し、本件接種当日の朝、鼻水を出し、体温が三八・五度であつた旨の供述部分がある。

しかし、前掲<証拠略>を総合すると次の事実が認定でき、右認定を覆すに足りる証拠はない。

即ち、尾島町は、問診票を作成のうえ被接種者である和恵らに交付したが、右問診票には接種当日の朝又は昼の被接種者の体温を記載するとともに、現在又は最近医者にかかつたかどうか、ひきつけを起こしたことがあるかどうか、卵を食べて発疹が出たことがあるかどうか、今まで受けた予防注射で特に体の具合が悪くなつたことがあるかどうか、今までに心臓病等重い病気に罹患したことがあるかどうかの問診事項について記入するようになつており、被接種者たちは学校から接種当日の朝家庭で必ず検温するように特に注意を受けていた。和恵の保護者である原告新島美知子は、右各問診票事項についていずれも「ない」と問診表に記入したが、当日の朝、時間がなかつたので検温することができず、検温欄無記入のまま、和恵は右問診表を携帯して登校した。

同日の朝の始業時に、和恵の担任教諭である栗原増枝が問診票を提出させたところ、和恵提出の問診票には、検温記入欄が右のとおり無記入であつた。そのため一時間目終了後、保健室で看護教諭から検温を受けるよう指示したが、その際、和恵の様子には異常は認められず、かつ本人からも異常の申し出はなかつた。

一時間目終了後保健室にて、看護教諭野村義江(以下「野村教諭」という。)が当日の健康状態、前日の健康状態、よく眠れたかどうか、当日の朝食は充分摂取したか、等を問診し、さらに顔色、歩き方等を充分に視診したが、その際、和恵には何ら異常がみられなかつた。

当日二時間目の休みである午前一〇時三五分から一〇時五〇分までの間、野村教諭は生徒らを順序よく並ばせて脇の下に手を当て汗をかいているかどうか確認し、体温計を脇の下にはさみこみ固定させて、一〇分間検温したところ、和恵の体温は三六・四度の平熱であつたので、その旨右問診票に記入した。なお、野村教諭は、一時間目の問診及び二時間目の検温で相当数の生徒を当日のインフルエンザ接種より除外した。

午後一時三〇分ころ、校庭にインフルエンザ接種を受ける生徒を集合させ、さらに、その場で約一時間をかけて、野村教諭は問診票と接種者をいちいち点検し、顔色を視診したうえ、一人一人に気持が悪くないか、昼御飯は食べられたか、頭は痛くないか等を問いただして問診を実施した。なお、この場で三年生一名、六年生一名の計二名を除外している。

しかる後、同日午後二時三〇分ころより接種医である横室医師は、右問診票をもとに補助者野村教諭の従前の問診、予診結果に関する説明を聞きながら、自らも被接種者の手をとり触診、視診を行い、禁忌該当者ではないことを確かめたうえ、予防接種を行つたのであるが、和恵のように当日学校で検温した生徒については野村教諭がその都度、特に横室医師に報告し、同医師は、他の生徒に比し、特に注意深く、触診、視診をし、和恵が禁忌該当者に該当しないことを確認したうえで、同人に対し、本件接種を行つたのである。

なお、接種の順序は低学年より高学年の順序なので和恵の接種は相当後の方であり、注射の際は、横室医師の手が和恵の腕に直接触れることもあつて、もし、三八・五度の熱が和恵にあつたとすれば、横室医師とすれば、その温度差ははつきりと認識しえた状態にあつた。

<証拠略>中の前記供述部分のうち、和恵の体温についての供述は、和恵からの伝聞に基づくものであり、その余の供述は、やや曖昧であるし、当日の登校後の和恵の体調等についての右認定事実と対比すると、右供述部分は、たやすく採用することができないし、他に、和恵が禁忌該当者であることを認めるに足りる証拠はない。

(2) 和恵が禁忌該当者であつたとは認められないことは右(1)に説示したとおりであるから、請求原因5(四)(2)の主張については、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(3) しかしながら、副反応による事故を可及的に少なくするためには、禁忌該当者に対しては、接種することがないよう十分な回避措置を講ずる必要があるので、この点について考える。

請求原因5(四)(2)(イ)(厚生大臣の禁忌該当者への接種事故回避のための措置不十分)のうち、厚生大臣が、本件行政指導に当たり各都道府県知事を通じ、各市町村に対して、接種を担当する医師等にインフルエンザ予防接種に当たつては、医師一人が一時間に対象とする被接種者の数が一〇〇人を超えないように厳守させ禁忌該当者に接種しないようにさせるため事前に視診問診等を十分行うよう指示すべき旨をも通達すべき義務を負つていたことは当事者間に争いがない。

そして、前掲<証拠略>を総合すると次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

即ち、昭和三三年に厚生大臣は、それまで予防接種ごとに定められていた予防接種の禁忌事項を実施規則四条に一本化し、また昭和三四年以後数年ごとに厚生省公衆衛生局長は各都道府県知事宛に「予防接種の実施方法について」と題する通達を発し、予防接種の実施に当たつては予防接種実施要領に従つて実施するよう指導してきたが、右実施要領の右の点に関する主な内容は次のようなものであつた。

〈1〉 接種対象者に対する通知等を行う際には、禁忌等の注意事項も併せて周知させること

〈2〉 予防接種実施計画の作成に当たつては、特に個々の予防接種がゆとりをもつて行われうるような人員の配置に考慮すること、医師に関しては、予診の時間を含めて、医師一人を含む一班が一時間に対象とする人員は、種痘では八〇人程度、種痘以外の予防接種では一〇〇人程度を最大限とすること

〈3〉 都道府県知事又は市町村長は、予防接種の実施に当たつては、接種従事者に実施計画の大要を説明し、予防接種の種類、対象、関係法令を熟知させること

〈4〉 接種前には必ず予診を行うこと、予診はまず問診及び視診を行い、その結果異常が認められた場合には体温測定・聴打診等を行うこと、予診の結果、異常が認められ、かつ禁忌に該当するかどうかの判定が困難な者に対しては、原則として、当日は予防接種を行わず、必要がある場合には精密検査を受けるよう指示すること、禁忌については、予防接種の種類により多少の差異のあることを注意すること、多人数を対象として予診を行う場合には、接種場所に禁忌に関する注意事項を掲示し、又は印刷物として配布して、接種対象者から健康状態及び既往症等の申出をさせる等の措置をとり禁忌の発見を容易ならしめること

厚生省ではかかる実施要領や実施規則の内容を周知徹底させるために、各都道府県知事を通じ市町村に通知するほか、医師会等にも通知し、さらに新聞ラジオ、テレビ等を利用して一般の医師に対する周知徹底を図つてきた。

また昭和四五年に厚生省公衆衛生局長及び同省児童家庭局長は、都道府県知事、指定都市市長、政令市長宛に「予防接種問診票の活用等について」と題する通知を発して、効果的に予診を行うための補助手段として問診票を採用することとした。

右に認定した事実関係によれば、厚生大臣に、禁忌該当者への接種事故回避のための措置に不十分な点があつたとは認められない。

(三)  請求原因5(四)(3)(インフルエンザ予防接種が副反応の危険性を有すること、勧奨接種であることを周知徹底させなかつた過失)について

(1) 副反応の危険性の周知徹底について

インフルエンザ予防接種には、前記三3(一)(3)で認定したとおり、副反応による事故例の報告があるが、その統計上の発生率は、約一〇〇万分の一以下であり、また、前記三3(一)(5)で認定したとおり、インフルエンザワクチン接種による副反応の実態及びその発症のメカニズムや脳炎の原因は未だ研究途上にあつて、最高水準の医学知識をもつてしても十分には解明されていないのが現状であり、そもそも、インフルエンザHAワクチンを含め医薬品は、一般に、その使用目的にかなつた作用、つまり有効性をもつ反面、生体に対する侵襲作用も否定できないため、何らかの副反応等による危険性を伴うものであるが、ことは比較衡量の問題であり、結局、前記五4(一)(5)で認定したとおり、インフルエンザ予防接種の勧奨についても、右のような副反応の危険性を考慮しても、なお、必要性、有効性が認められるとの考え方にも十分な根拠があり、防疫対策としてのその選択には合理性があつたというべきである。そして、前記五4(二)(2)で認定したとおり、副反応による事故を可及的に少なくするため、禁忌該当者に対しては接種することがないように回避すべき措置について、厚生大臣に措置不十分な点はないのであるから、禁忌該当者以外の者でも極めて稀に生ずるかも知れない副反応の危険性については、実施主体、実施担当者、医療関係者に対しては、周知させる義務があるが、それを超えて、被接種者に対してまで、右を周知徹底させる義務は必ずしもないものというべきである。

そして、前掲<証拠略>によると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

即ち、厚生省に予防接種の実施主体である市町村からインフルエンザ予防接種による事故が報告された件数は、昭和三六年まで一件もなく、昭和三七、三八年に各一件、昭和三九年に三件あつたが、昭和四〇年に五件とそれまでより報告件数が増加した時点で実施主体の注意を喚起するため、厚生省は機関紙である「防疫情報」においてこの事実を公表している。さらに昭和四五年以降は厚生省から補助金を受けて運営している財団法人予防接種リサーチセンター発行の「予防接種制度に関する文献集」においてほぼ毎年予防接種後の副反応の症例研究を公表している。なお、昭和五五年、五八年には厚生省監修の「予防接種ハンドブツク」において予防接種事故審査会、伝染病予防調査会認定部会で予防接種事故と認定された症例、件数を公表している。

右認定の各事実によれば、被告国の厚生大臣は、本件行政指導に際し、インフルエンザ予防接種の副反応の危険性及び程度について、その実施主体、実施担当者及び医療関係者に対しては、当時、十分な認識を持たせるような手段を講じていたものということができる。

したがつて、この点に関する原告の主張は理由がない。

(2) 勧奨接種であつて強制接種ではないことの周知徹底について

前記五3(二)で説示のとおり、本件接種を含むインフルエンザ予防接種は、法律上は予防接種法に基づく強制接種ではなく、被告国の勧奨に基づいて実施主体である各市町村が自己の判断で行う勧奨接種であり、法律上の強制はないのであるが、実際上は、強制接種に近い形で行われ(強制接種と勧奨(任意)接種との違いが、前者は法律上の強制を伴い、その不遵守に対して刑罰が科せられることにあるが、これまで予防接種法に基づく強制接種の不遵守に対して刑罰権が発動された事例はなく、その点で、事実上両者の違いはない。)被接種者らも強制接種と勧奨(任意)接種との区別を特に意識していなかつたのが実情である。

しかしながら、前記説示のとおり、インフルエンザ予防接種には、右のような副反応が危険性を考慮に入れてもなお、必要性、有効性が認められ、この実施の選択には、合理性があつたというべきであり、したがつて、被告国の厚生大臣は、インフルエンザ予防接種が勧奨接種であることを、被接種者に対し、ことさら周知徹底させる義務があつたとは解することができない。

(3) 以上のとおりであつて、その余の点について判断するまでもなく、請求原因5(四)(3)の主張は理由がない。

六  以上判示したとおり、本件接種と和恵の死亡の結果との間に、法的な因果関係を認めることはできるが、被告国には、国家賠償法一条一項の責任が認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

(なお実施担当者等の具体的な過失がないにもかかわらず、不幸にして、インフルエンザワクチン接種による極めて稀な前記副反応を原因とする疾病にかかり、死亡等の結果が生じた場合には、被告国としてその補償措置を講ずることが必要であり、その因果関係の判定は、前記三に認定判断した基準によるべきものと解される。そして、昭和四五年七月三一日付閣議了解に基づき、国の行政指導により住民に勧奨して行つたインフルエンザ予防接種の副反応と認められる疾病により死亡した者の配偶者、子又は父母は、予防接種の実施に当たつての過失の有無にかかわらず、弔慰金の支給が受けられることとなり、その後の支給額の改定により、和恵のように、昭和四八年一二月二一日に一八歳未満で死亡した者の父母に対しては、四二〇万円が支給されることになつていたところ、原告らと尾島町(分離前相被告)との間では、昭和五八年一一月一八日の本件和解期日において、尾島町が原告らに対して見舞金として右弔慰金と同額の合計四二〇万円を支払う旨の訴訟上の和解が成立していることは当裁判所に顕著である。)

七  結論

よつて、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小倉顕 渡邉了造 大渕哲也)

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